ハニワタイワ

差異と身体性、そして関係性の中に生まれる暖かさを探る「ハニワ」達の営みを映した動画作品。 11月4日までゆるふぇみ・カフェにて公開

第一部

買い物をし、ご飯を作り、仲良く平和に暮らしているノホホンとアワワ。しかしアワワはどことなく、からだについてなにかもやもやを感じている様子。アワワはノホホンのからだ、とりわけ「すそ」を見ることで、自分のからだを意識しているのだ。その経験は自分が持っている「さぼてんはにわらしい」からだのイメージと、「区分け」を変えた経験などが結びついているようだ。アワワはノホホンと話しながら、からだを意識する経験について考えていく。

このエピソードは、共同生活の中でまりまりの身体を見ることにより変化していったゆうみんの身体違和がテーマになっている。

ゆうみんにとって「女性の身体」を体現することは、「女性」として承認されること(「女性」として「パス」すること*)や「自分らしさ」を実現することではない。自分の身体が「女性」であると感じられることが、自分自身にとって「女性」であることを実感できる要素となっているからこそ、「女性の身体」を体現することを意識せざるを得ないし、身体違和は顕在化するのだ。

しかしながら、この感覚は両義的なものである。実際「女性」であることと「女性」らしくあることは不可分であるために、2つが分かれているという主観的なリアリティを語ることは難しい。いかにしてこれを理解可能なものとして提示することができるだろうか。本対話は、その試みとして位置付けられよう。

「パス」すること:自分の自認する性別で社会に溶け込んでいること。

第二部

世界が意外と広いことに気がついたノホホンとアワワは、机上の撮影現場から抜け出し、探検に出る。そこで目にする「大きな生き物たち」と、彼らが暮らす世界に、はにわたちは自分たちの「区分けされた」社会とは異なる「ユートピア」を見てとる。

旅を通じ、ノホホンは、トランスはにわのアワワとの生活の中で、自分自身の「区分け」に関する感じられ方が混乱してきたことを語る。その揺れは旅の間も続き、これからも定まることはないのかもしれない。

 このエピソードは、ゆうみんとの生活の中で、まりまりが自分自身の性別に関する違和感への認識の変化を描いたものだ。

出生時に割り当てられた性別に強い違和感を持っているゆうみんと暮らす中で、まりまりは、自分が抱いている違和感に対して批判的な目を向け始める。その揺らぎの中で見えてくるのは、「正しい」違和感やそうでない違和感ではなく、重要な他者との関係の中で常に更新されていく違和感のあり方だ。

また、この社会に生きる人間の目に、頭のとがり方で「区分け」をしていくはにわ社会は滑稽に映るかもしれない。一方、アワワとノホホンにとって、頭の形で区分けをしない「大きな生き物の社会」は、「ユートピア」と感じられているようだ。はにわ達の視点は、現代の社会に生きる人間にとってどのような「重なり」や「ズレ」があるだろうか。

第三部

第一部および第二部の制作後に、作品自体に対する感想や、想起したことを対話し、その録画データをまとめて作品としたものである。対話では、はにわと実際の感覚の類似点と差異について、また作品で取り上げたテーマについてお互いどのように感じているのかが語られた。

この作品は、まりまりとゆうみんーーー人間社会に生きる「はにわ」たちーーーの対話が今後も続いていくことを示唆している。